小泉 誠

武蔵野美術大学造形学部空間演出デザイン学科教授。

1960年東京都生まれ。デザイナー原兆英と原成光に師事。1990年Koizumi Studio設立。2003年デザインを伝える場として「こいずみ道具店」を開設。建築から箸置きまで生活に関わる全てのデザインに関わり、現在は日本全国のものづくりの現場を駆け回り地域との恊働を続けている。

18歳頃に聴いていた高中正義

─20歳の頃、どのような音楽を聴いていましたか。

小泉:20歳の頃は、ちょうど音楽が嫌いになりました。聴いてなかったです。

皆は高校出て美大に来たと思いますが、僕は全く志がなくて、友達に誘われてレコーディングをやる音響系をやってみようかなと思っていたんです。僕は、やるからには結構本気になる方なので、当時友達とお金を貯めて「録音って言ったら、ロスだよな」とか言って、今から40年前にロサンゼルスに行ってスタジオを借りました。そこでレコーディングをしたり、国内でもコンサートの音響のバイトをしたのですが、結局性に合わないことが分かりました。アメリカはミュージシャンファーストで、スタジオにはバーがあって、バスケットのコートもあり、音楽を作る環境がとても良かったです。ですが日本に戻ってみたら、当時の日本の音楽を作っている環境はかなり劣悪で、ビルの中で音という物理的なものだけを追っ掛けていました。そんな環境を見て全く興味もやる気も無くなり結果、音楽って嫌だなと思うようになり聴かなくなりました。そして20歳で、デザインに出会ってからこっちの方が楽しくなりました。当時は音楽を聴きながら作業することもやっていなかったので、音楽というものから離れてた時期かもしれないです。

 

─音楽関係をやっていた時期には、何を聴いていましたか。

小泉:僕らの時代だと、フュージョンというジャンルがあって、昔はサディスティックミカバンドにいた高中正義とかそこら辺を聴いていました。このジャンルは新しいものを見つけている時代だったので、このフュージョンっていうジャンルはとてもインターナショナルでした。当時好きだった高中正義だと、有名な『BLUE LAGOON』とか『JOLLY JIVE』っていうLPの中に入っている曲を聴いていました。

 

─先ほど、渡米されたと聞きましたが本当に実際に行かれたのですか。

小泉:学校は普通に黙って行っていると何もしないで終わります。当時の僕は先生に相談して、きちんと計画を立て向こうのスタジオを紹介してもらってロサンゼルスへ行きました。そして、そのスタジオで教えてもらいながら録音の実習などをしました。

僕は、今みたいにデザインにハマると徹底的にまず極めてみたいなっていう性格なので、劣悪な環境を知るまではとにかく夢中でした。ある意味悪い時代だったのかもしれないですが、音楽を作る裏側を知ってしまったのが、音楽を健康的に感じられなくなっているというのがあります。トラウマ的なところもあると思いますが、そういう意味では信じてない、そこには頼りたくないという感じです。

よく音楽を聴くと元気になると言いますが、ものづくりって結果だけじゃなくて作っている過程も素敵じゃないと素敵ではないと思うんです。だから、作っている人が見えない音楽というのは気持ちが悪いです。なので30代では、知り合いの繋がりで知ったアーティストの音楽を聴いたり、作っている人や演奏している人がはっきり分かっている人の音楽は聴き始めたって感じがします。

 

 

─現在どのような音楽を聴いていますか。

小泉:結局、曲が挙がらないです。色んなものをBGMのようにあまり気にしないで聴いてる感じです。なので、音が大きく鳴っている状況や逆にオフィスなどで無音な状況でも全然大丈夫です。オフィスの場合、無音だとスタッフが多分辛いかもしれないですが(笑)。

 

─武蔵美生に是非聴いてほしい音楽はありますか。

小泉:音楽関係なく、例えばデザインでアドバイスありますかって聞かれた時も、アドバイスしないことがアドバイスだっていうタイプなんです。信頼している友達が聴いているものから入ったりなど、興味を持ったなら音楽に限らず自分で探すのが一番いいと思います。

取材:2021年1月6

​編集:福田

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